イギリスファッションを語るには、
二つの考え方が出来ます。
「シティースタイル」と、
「カントリースタイル」です。
ま、つまり「都市」と「田舎」
ってことですよね。
一般的に、流行は
「都市」から発生します。
どこの国でも、
田舎って保守的なんだよね(笑)
Duke of Windsor (ウィンザー公爵)
コノ人が誰だか知っている人は、エンスーさんです。
現イギリス女王、エリザベス2世の伯父であり、
イギリス、アメリカファッション界の伝説的な人物です。
実は、代々のイギリス皇太子には、お洒落のマスター(最高レベル)が何人もいます。
「お洒落には、ある程度のお金がかかる」という現実があり、
昔のファションは、今のように、「デザイナー主導」ではなく
「貴族・王」が引っ張ったという事実があるからなんです。
今回、コノ人を取り上げるには、理由あっての事です。
そう、「チャールズ皇太子」との比較です。
なぜ、ウィンザー公は「ファッション界の伝説」になったのか。
さて、ではウィンザー公の事をちくっと語りましょうか。
ウィンザー公・・・本名:エドワード8世
彼はチャールズ皇太子から見ると、母エリザベス女王の父、ジョージ6世の兄。
え〜つまり、おじいさんの兄になるわけです。
そう、つまりイギリス国王になったことがある人なんですね。
エピソードは語るに付きません。
世界で初めてタバコを吸ったところを、写真に撮らせた王族。
世界で初めてラジオに出演した王族。
女性関係も、実に豊富。
フリーダ・ダドリー・ウォード夫人、レディー・キューナード、レディー・エドウィナ・マウントバッテン、
ミス・タララー・バンクヘッド、フローレンス・ミルズ、レディー・ファーネス・・・その他モロモロ
当時「世界で一番魅力的な独身男性」と言われてたんですって。
かなり、自由奔放な性格だったことが、うかがえますよね。
服装ではやはり、「ウィンザーノット」が一番有名でしょうか?
ネクタイの結び方の一種なんですが、ノット(結び目)にボリュームを持たせるための
独特な結び方です。
考案したのが、このウィンザー公ということになっています。( )
その他にも、ダッブ・カラー、タイ・スナップ、ブリム・ハット、フェア・アイル・セーター・・・
ウィンザー公のファッションセンスは、当時の人達の注目の的だったようです。( )
さて、本題に入りましょう。
なぜ、ウィンザー公が当時のファッションリーダー足りえたのか?
なぜ、チャールズ皇太子はファッションリーダー足りえないのか?。
チャールズ皇太子の好みが、イギリスの伝統的な「カントリースタイル」と言う事もあります。( )
が!
決定的なことは、二人の「人生」です。
実は、このウィンザー公。
独身時代は、女遊びの連続だったのですが、1931年、運命の女性と出会う事になります。
後のウィンザー婦人、ウォーレン・シンプソンです。
しかし、このウォーレン・シンプソンを皇太子妃にするには問題がありました。
すでに一回の離婚暦があり、子供もいて、しかも結婚している人妻さんだったのです。( )
伝統を特に重んじるイギリス王室、議会、国民は、猛反対。
しかもこの時のイギリス王室は、イギリス国教会の首長という立場でした。
つまり、カトリックでいうバチカンみたいなもんです。
ローマ法王が、人妻さんと結婚するなんて、あーた、そりゃ無理ってもんです。
皇太子ってのは、後の国王になる人ですからね。
で、こっからがエドワード8世の本領発揮です。
彼は、公式には「ウォーレン・シンプソンは、友人だよ〜ん」てな立場を採っていました。
しかし、父であり国王でもあったジョージ6世が亡くなり、自らが国王になった後・・・
なんと、サッサと国王を退位し、ウォーレン・シンプソンの元に駆けていったのです。
退位した日、イギリス中にラジオが流れました。
という彼の言葉は、あまりに有名なセリフです( )。
エドワード8世の在位は、わずか一ヶ月。
後を引き継いだのは、弟のヨーク公ジョージです。
後のジョージ6世であり、チャールズ皇太子のおじいさんになります。
エドワード8世は、ウィンザー公の称号をもらい、フランスで幸せに暮らしたとさ・・・。
ウォーレン・シンプソンと共に。
どう?どうよ?
最高にかっこよくない?
同じ女性がらみの話でも、天と地の差がない?
チャールズ皇太子とは!
ウィンザー公にあって、チャールズ皇太子に無いもの。
それは、
なんですよ。( )
「ダンディズムって何?」って言われたら難しいんだけど・・・感性で、わかってちょ〜だいな?
二人とも側(かたわら)には、腕利きのテーラーがいるはずです。
良い服着ていることでしょうし、良い靴も履いているでしょう。
お金も沢山あるし、何も不自由しないでしょう。
しかし、そんなことではないんです。
そこが問題じゃあ、ないんです。
問題は・・・
王位を捨てて、愛する女性の元へ、駆けつける・・・
女性が結婚していようが、子供がいようが、そんな事は知った事じゃない・・・
フランスで暮らしていたウィンザー公は、イギリス王家とは、断絶状態になりました。
弟のジョージが亡くなった時の葬儀には、ウィンザー公は単身で参列。
翌年のメアリー王太后の葬儀の時も彼は単身で参列しました。
ウォーレン・シンプソンは正式にウィンザー夫人と、認めてもらってなかったのです。
認めてもらったのは、1966年。
ウィンザー公が亡くなる6年前の出来事だったんですね。
彼が亡くなったのは、1972年。享年78歳
彼は死ぬまで、この結婚を後悔する事はなかったそうです。( )
私は、ウィンザーのように「伝説」には、到底なれませんが、
見習うところが、沢山あるように思います。
あ、そうそう。
ところで、ウォーレン・シンプソンは、どうなんでしょうね?
ひょっとして、ウィンザーはフランスで、奥さんに、
「皇太子のあなたが好きだったのに!」なんて言われてたりして・・・w
ばい しんどばっと 2005/6/8、改定
ウィンザー公は、
服装に関しては無口だったと伝えられています。
ウィンザー公が編み出した・というものもあれば、
勝手に周りが騒ぎたてた・・というのもあるみたいです。
沢山の人がウィンザー公に注目したんですね〜。
注2
ウィンザー公の生きた時代は
実に波乱に富んだ時代です。
そう、第二次世界大戦に
突入し、世界が混乱した
時代だったんですね〜。
「王位」の重みは、
今とは比べ物にならないくらい
重かった時代だったんです。
チャールズ皇太子が
カミラ・パーカーと
結婚が遅れたのは、
一説には、王位継承権に
しがみついてるせい
とも言われています。
フン・・・
血はつながっていても、
ウィンザー公の
相手には、ならんな・・・
注7
あ〜他にもあります。
ラブレターからなんですが・・・
「愛は募るばかりだ。
別れていることが、
こんなに地獄だとは・・・」
・・・外国人って、
なんでこんなクサイセリフが、
平気で言えるのかなあ・・・。
やっぱモテル男は違うなあ(笑)
注5
---ファッション論考・お洒落とはなんぞや?---
・・・リンクマップ・・・
Link map
し ゃ れ ど う
「私は国王として重大な責任と義務を果たすことが、到底不可能である。
愛する女性の助けと支えなしでは・・。」
注1
注2
ダンディズム!
これについては、
後に機会があれば
書いてみようと思います。
良い本見つけたから!
そのほうが、
私が語るよりも
説得力あるしい・・・(笑)
注6
注6
注7
注1
エピソードを一つ。
当時、メンズのパンツは
裾(すそ)はシングルが
隆盛でした。
ある日、ウィンザー公が
泥が跳ねて、ダブルに折ったら、
次の日から、
ダブルが流行り始めたとか・・・
恐るべし!
注3
注4
カッコよすぎるぜえええええ!!!!!!!!!
サイコーーー!ウィンザーーー!!!!
「生き様」なんですよ!
注3
注4
まあ、実際はこれ以外にも
問題があったみたいです。
金遣いが荒いとか(笑)
注5
特に独身時代には・・・
あ・・・いや、結婚するまでの過程には・・・
Soul
---お洒落とは、何ぞや?・ウィンザー公が伝説になる理由---
3:ウィンザー公が伝説になる理由
「ダンディズム」